お知らせ

広告セミナー「新日本プロレスV字回復のポイント~誘いたくなる宣伝戦略」を開催しました。

11月22日、新潟日報メディアシップ2階 日報ホールで広告セミナー「新日本プロレスV字回復のポイント~誘いたくなる宣伝戦略」を開催、約70人の会員が聴講しました。講師は新日本プロレス前社長で、低迷していた業績を回復させた立役者である手塚要さん。現在は新日本プロレスの親会社、(株)ブシロードに復帰、営業本部営業課長として活躍されています。

○新日本プロレスの盛衰と変化

1972年にアントニオ猪木氏が設立、80年代にアントニオ猪木、藤波辰爾、長州力に加え、タイガーマスクがブームを巻き起こし、金曜夜8時枠のテレビ視聴率が常時20%越え、という人気ぶりでした。90年代になると「闘魂三銃士」(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)の大ブームが起き、売上も年間40億円に迫りピークを記録したものの、2000年代に入ると総合格闘技ブームが台頭、独立ラッシュによりプロレスそのものの人気が急落、新日本プロレスの業績も長く低迷しました。

最大の問題は、経営者がプレイヤーでもあるプロレスラーだったこと。社長が常に全国をレスラーとして回っている状況では、経営戦略を立ててビジネスを廻してゆくことが難しかった。

流れが変わったのは、12年にカードゲーム会社である(株)ブシロードによる買収です。11億円にまで落ち込んでいた売上を16年には32億円まで急回復させ、再びプロレスブームを巻き起こしています。15年には21年ぶりに大阪城ホールで1万人を動員しました。

売上は興行・グッズ販売・コンテンツ売上に分けられますが、この構成比も劇的に変化しました。グッズ売り上げが構成比で3倍、金額で5倍にもなったのです。

○2つの強みを生かした2つの施策

V字回復のために、どう改革していったか?新日本プロレスには2つの強みあると思います。まずブランド力があるということです。「ライオンマーク」はみんなが知っていて、歴史、ネームバリューに加え、幅広い年齢層のファンがいる。もうひとつはコンテンツ力です。試合はとにかくおもしろい。キャラクターの立った選手達、劇的なリングでの展開。この2つの強みベースに広告展開で協力にアピール、一気に外に打って出たのです。

広告は電車の車体広告や駅のステーションボード、アドトラック、屋外広告、企業コラボなど、とにかく派手に、大量にやりました。歩いていると、とにかく目立つ。すると「流行っている感」が醸成され、「隠れファン」が表に出てくるようになりました。仲間同士が誘い合って試合に行くようになってきたのです。

「既存ファン」が「新規ファン」を誘いやすくなり、全体数が増えました。

もうひとつは、ワンソース・マルチユース戦略で「行かない理由」を消してゆくインフラの構築しました。地上波TV、BS放送、CS放送、ネット配信を網羅し、ネコンで「ライブ・ビューイング」も展開して大画面の迫力も提供しました。こうしてお金が無い、時間が無い、場所が遠いなどの「言い訳」をつぶしていきました。間口を広げ「プロレスが観られない」と言わせない環境を作ったわけです。

【会場からは質問も出ました】

Q ネット視聴の現状は?

 儲けというよりは「ファンのためのもの」という位置づけにしています。

Q 女性ファンの増加がもたらしたものは?

 会場が華やかになり、その華やかさが更に人を呼んだ。またグッズ売上が急上昇しました。特に、ファンになった選手のグッズをたくさん買う傾向が強く、売上に大きく寄与しています。

Q チケットの販売方法を見直しましたが?

 選手や関係者が直接販売する「手売り」に見切りをつけたことが、「マス」で人を呼べるコンテンツを名実共に目指すきっかけになったと思います。

手塚要氏

手塚 要氏

株式会社ブシロード 営業本部営業課 手塚 要氏

1972年生まれ。東京都出身。1997年にコンテンツ企画制作およびキャラクター商品の開発販売を行う㈱ブロッコリー入社。2005年、米ロサンゼルスに設立したBroccoli International USA社長に就任。2010年にカードゲームやキャラクター商品の開発販売などを行う㈱ブシロード入社。 2012年、同社の米国子会社を立ち上げた後、2013年4月に新日本プロレスへ出向、社長を務める。2016年2月、㈱ブシロードに帰任。長年キャラクタービジネスに携わってきたエキスパート。